秋晴れの日に

2020年11月10日(火)AM9:30
この秋晴れの日に愛猫タマが逝ってしまいました。

9年と5ヶ月前、僕が会社員としての最終日を迎える前日という奇跡的なタイミングで保護した姉妹猫の片割れです。

今年1月に大きな手術をして生き延びてくれて、この10ヶ月は想いを伝え放題の、本当にボーナス期間だったと思います。
今月に入って胸に水が溜まり緊急入院。回復の見込みが薄いのは理解していたので、ここ数日はさらに声をかけ、写真を撮るようにしていました。

この2匹に育てられたのは僕の方。
ネコは外にいるものと思っていた僕は飼い方も猫の特性も知らず、僕の方ばかりが癒される毎日。3年後に一匹増え、9年半でものすごい変化がありましたが、どんなときも家に帰れば必ずこの子たちがいました(脱走してるときを除く)。

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(注意)この先、亡くなった後の写真があります
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動物は飼い主を選べないので、猫様の世話人として、当初から決めていたことがあります。
薬でボロボロになるような死なせ方はしない。猫の生態を尊重して、自宅で猫としてきちんと看取ること。

今回、それがひとつ叶わず本当に悔いています。

この2日間、呼吸は苦しいながらも、少しはゼリーを食べてくりたり、いつものように布団に潜り込んできたり、三匹で団子になったり、本当にリラックスしている様子でした。
穏やかすぎることに恐怖を感じるほどに。
昨日も今日も、本当に良い天気で、暖かな日差しでした。

膝の上に乗せて撫でていると失禁しました。このまま看取るべきかと思いましたが5分ほどで症状が落ち着いたので、病院に連れて行って無理そうなら自宅で看取ろうと思いました。
体がうまく動かないのに、ケージに入るのをものすごく嫌がりました。このとき理解してあげればよかった。
いや、意思が伝わったのに、僕は無意識に自分の助けたいという願望を優先させたのかもしれません。

車に乗せた瞬間聞いたことのない鳴き声を上げ、少し動きはあったものの、今思えばそのとき絶命していたのだと思います。

運転中ケージの蓋を開けずっと手を握っていましたが、自宅で膝に抱いて看取ってあげることができず、今日だけで何百回それを悔いたことか。

少なくとも「大丈夫だよ」「最後まで一緒やけんね」と声をかけつづけることはできた。あとは自宅で膝の上で撫でながら送ってあげることだけ。それを最優先に治療の方針も決めてきたのに、最期の最後に怖い想いをさせてしまった。
あなたの姉妹には、同じ想いをさせないようにがんばるよ。本当にごめんね。

ずっと側におるけんね、怖くないよと声をかけつづけた一週間。
今は遺体をみると、どうしても息をしているように見えるし、写真を撮ったり、こんな文章を書くことしか手につかない。心に穴が開くとはこういうことなんだなと実感しています。

お風呂にはいるとき、自分の太ももからタマちゃんのオシッコの匂いがしました。
ほんとそれさえも愛おしい。

庭に埋めて、木を植えよう。
9年以上も一緒にいてくれて本当にありがとう。

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Photographer

富永 秀和のアバター 富永 秀和 Photographer

1983年福岡生まれ。グラフィックデザイナーから転身した職業フォトグラファー。2013年に中古購入した中判デジタルでその表現力の虜となる。福岡のシェアスタジオで経験を積み2022年に上京。
40歳で総合格闘技(MMA)入門。