『君たちはどう生きるか』を観てきた。

7月14日夜のこと。どうしても気になって『君たちはどう生きるか』を当日予約し、近くの映画館で見てきました。公開初日に映画を観に行くのは何年振りだろう。

中学三年の夏、自分の人生を大きく変えた映画が「もののけ姫」。複雑に絡み合うテーマが、何の説明もなくラブストーリー形式で展開されていく様に魅せられ、描かれなかった部分に思いを馳せ、アニメーションでこんなことができるのか!と夢中になった。それから年月が経ち、30を過ぎたあたりから高畑勲氏のすごさに魅せられるようになり、振り返ってみると、高畑&宮崎お二人の、映画を通しての掛け合いもかなり面白い。

宮崎駿氏のエッセイや対談を集めた「出発点」という書籍が中学生だった僕のバイブルであり、親や周りの価値観ではなく、この本をはじめ数々の小説たちによって自分の基礎がつくられたのは間違いない。この歳になるまでの経験と痛みから柔らかくはなったものの、ベースの価値観は今も変わっていないと思う。


さて今回の『君たちはどう生きるか』、何の広告もなく内容の見当もつかないまま、濃厚な宮崎駿を素直に受け入れるつもりで臨んだものの、想像していたどの方向性とも違っていた。

これまでの宮崎作品は、どのような世代に向けたものか明確だったし、現代社会にその映画を投じる意味がハッキリと見えていたのに、今回の作品にはそれが見事にない。どこかで見たようなシーンがランダムに組み合わさり、作り手が一緒にストーリー展開を不思議がっているような、意図を悟られまいとしているかのような、そんな空気感。この映画は見る側の人生経験によって、まったく違う印象を残すだろうと思った。

宮崎作品の一番の特徴といえば、アニメーション自体の面白さ。小さな子どもが観ても動きだけで楽しめるような動画力だ。ご本人が原画や動画1枚1枚にチェックを入れることによって達成されていた「動き」自体の面白さは、当然ながら今作では失われ(ただ冒頭部分、火と群衆をくぐり抜けるシーンは素晴らしくて感動した)正直なところ途中でつらくなった部分もあった。主人公の母親への思いを起点に展開していくのも、個人的には非常に退屈(自分が特殊なのは自覚しているが、母親への特別な思いがなく、まったく乗れない)。映画を見ながら「あと何分あるんだろう」と時間を気にしてしまう。

1つ告白をすると、昔の宮崎氏の著書を読み込んでいたため、若者を叱咤するような、昔は良かった的な映画は絶対につくらない人だと信じていたので、2013年の『風立ちぬ』実は今だに観ていない。もちろん観ないとその実は分からないのだけれど、怖くてまだ観られない。しかし、後世のために何かを残そうという強い意思が反映されたものだろうと感じている。

それから10年ぶりの宮崎駿監督作品。もちろん個人的な見解だが、彼の「描きたいもの」は既に描き切っていたのだと思う。「もののけ姫」公開時に『引退して、誰も見なくて良い映画をつくりたい』をおっしゃっていて、今回はスクリーンを観ながらその言葉を思い出していた。高畑勲監督も亡くなり、本当に自由に、好きに作ったのだろうなと。

それでも映画終盤、自分にとって印象深いシーンがあった。主人公と母たちが別々のドアから帰るシーンで母のセリフを聞いて、これは僕らを含む後の世代のためのエールなのかも知れないと思った。我々は君たちと同じように、自分の意思で精一杯生きたし、これからだってそう。あとは君たちがどう生きるかだよ。全力で好きなようにやりなさいと。

自分の境遇へのこじつけかもしれないが、そのメッセージだけは勝手に受け取った。
本当に色々なことがあるけど、腐らず諦めず、しっかり生き抜いてみせよう。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

Photographer

富永 秀和のアバター 富永 秀和 Photographer

1983年福岡生まれ。グラフィックデザイナーから転身した職業フォトグラファー。2013年に中古購入した中判デジタルでその表現力の虜となる。福岡のシェアスタジオで経験を積み2022年に上京。
40歳で総合格闘技(MMA)入門。