6ヶ月前のこと

2024年3月7日、愛猫クロが虹の橋を渡りました。

今日でちょうど半年。その間ブログを更新していなかったのは、クロについて文章を書かないと先に進めないような気がしたから。悔いはないのに何故かずっと書くことができずにいました。たくさん撮った動画も見返すのがキツい。

腎臓が悪いと判明してから1年と2ヶ月間、人間のエゴで無理な延命をせず、猫として天寿を全うさせるべく、月イチの血液検査の数値を見ながら点滴の量や頻度を調整する毎日。少し餌を食べただけで喜び、調子の悪いときには覚悟をし、とにかく最期は安心できる環境で見送ることが使命だったし、それを何よりも優先した期間でした。

3年前にはタマを病院に連れていく車中で亡くしているので(嫌がったのに無理に連れ出してしまった)最期に怖い思いをさせたその後悔だけは繰り返したくなかった。

飼い主ができることは、体に負担の少ない環境をつくり、愛猫の死をちゃんと受け入れてあげて「大丈夫だよ」と撫でて見送ることだけ。

やせこけた最後の日(体重は2.1kgまで落ちた)
最期が近いとわかってツンデレの茶々殿も寄り添う

最後の数ヶ月は血液検査を辞め、数字ではなくクロ自身と向き合うようにする中で、急にご飯を食べ始め奇跡的なほどに元気に動き回るという数週間のボーナス期間の末に、数日で動けなくなって逝ってしまいました。

失禁(といっても輸液が漏れた感じ)後に尻尾がブワッと広がることで、これが最期だとハッキリ理解したので「今まで楽しかったね」と話しかけると、僕の手をモミモミしながらニャウニャウと応えてくれて。「うんうんそうか」と僕も話を聞いたりして。あんなに会話が通じたと思ったのは初めてかもしれません。

色々と反省点はあるけれど、できることは全部やったし何も後悔はない。淋しさよりも最期に側にいられてホッとしたのが正直なところ。1年を超えるミッションが完了した日でした。

里帰り埋葬

火葬する予定でネットで調べ尽くして予約しましたが、最終的には予約をキャンセルして1100キロ離れた福岡の実家へ帰り、先に逝ったタマと同じ場所に埋葬することにしました。強力な保冷剤を入手し、元気な猫(茶々殿)も一緒に車での長時間移動。

東京では自分ひとりだけど、妹が子どもを連れてきたり色々な人がクロに手を合わせたり撫でてくれて、本当に帰ってきて良かったと思えました(茶々も生まれ育った部屋を覚えていてすぐにくつろぎ出す始末)。後日、先に眠るタマのすぐ側に埋葬しました。分解されやすいよう、土などに工夫を凝らして。

子ネコだったクロを保護した現場(台風前夜でした)

クロは先住の2匹のあとに保護した子ネコで、はじめから神経質なところは一切なく、丈夫な体を持ち、病気もせずにスクスクと育った聞き分けの良い子でした。

1匹残された茶々は、もともと神経質でヤキモチ焼きなので、本来は多頭飼いには向いていない性格でもあります。クロがいなくなって二人きりの6ヶ月間。相変わらずツンデレだけど以前のようなヒステリックな鳴き方をしなくなったような気もする。

人生色々あるけど、やりたいことに挑戦しつつ、この子を見送るときまで強く生きよう。

Profile

富永 秀和のアバター 富永 秀和 Photographer

1983年福岡生まれ。グラフィックデザイナーから転身した職業フォトグラファー。2013年に中古購入した中判デジタルでその表現力の虜となる。福岡のシェアスタジオで経験を積み2022年に上京。
40歳で総合格闘技(MMA)入門。