いつもスタジオの前の道を小学生たちが通る。
夏休み中とはいえ、学校内に預かり施設もあるためか
少数の児童たちが賑やに声を上げて通ってゆく。
それはもうカナリ騒がしいのだけれど、彼らが下校しながら大声で歌っている歌は、僕が幼い頃に歌っていたものだった。4〜5人で男女の声がハモる。
こうやって「詠み人知らず」となって歌い継がれる音楽に僕は魅力を感じる。将来的には写真でこれをやりたいのだ。カメラやスマートフォンが発達し、誰もが美しい写真を撮れる今、写真家は求められるものを撮る技術者としてだけでなく、先を見据えて「シンプルに機能するもの」「普遍的に問いかけるもの」に公共性を持たせて世に出して行く必要があるのだと思う。
事実として写るのは「個」であっても、時代や価値観を飛び越える現象は存在し得る。
日頃の業務に溺れることなく、状況に流されることなく、やると覚悟を決めたことはやり通したい。
「自分感受性くらい(茨木のり子)」という詩を思い出す。
まだまだ、人生はこれから。