この場所で幼女が家族に連れられてこの場所を訪れた記録。
カモメに餌を投げている瞬間、僕が二眼レフを持ってそこにいたという記録。
デジタルで合成が容易になったとはいえ、写真は本来 “記録” のツールである。
では「写真作品」とは何なのか。
写真における「作品」という考え方は本当にややこしい。
仕事として依頼され、何かを演出したり商品を美しく撮るのは、少なくとも撮影する人間の「作品」でないことの方が圧倒的に多いし、美しい風景をパチリと撮ったり、一部分をクローズアップして「作品」と呼ぶのも違う気がする。
ましてや、夕日に照らされる建築物をいくら魅力的に撮ったとしても、建築家の仕事の成果(作品)を写真に収めているだけであり「写真」として素晴らしかったとしても、建物が主題である場合は「作品」と呼ぶべきではない。一応職業デザイナーの僕としては、その辺の意識がずっと抜けない。絵画にしろ建築にしろ誌面のデザインにしろ、途方のない苦悩を何度も繰り返した上で完成するものだと知っているからだ(本当は写真だって同じなのだけれどここでは触れない)。
でも「写真」が「作品」になるボーダーラインは確かにある。
概念的なラインもあれば、見る個人によって変化するラインもあるだろう。
ただなんとなく撮った写真なのか、必死で這いつくばって撮った写真なのかは見ればわかる。
執拗にデザインされた写真なのか、被写体に魅せられ撮らされた写真なのかは見ればわかる。
もちろん仕事帰りに撮った夕日を「作品」という人もいるだろうし
それが間違いだってこともない(と思う)。
自分の中でひとつの答えが得られたと実感したのは、つい昨年のこと。
写真って面白いなぁ。