沖縄の帰りに「流される力」という本を読んだ。
“学ぶこと”と“教わること”は本質的に別のことで
後者ばかりの人には、一番重要な部分が備わっていないと思い込んでいた。
自分で考えて、そこから何かを探り出したものが、後に活きるのだと信じていた。
(もちろんそれは、ある面で強みではある)
でも待てよ、何かが違う。
数年前から肌で感じている違和感と、これまでの意地。
写真だって、自分の枠に納めちゃってるものはつまらないじゃないか。
被写体を映す鏡のように、流されている写真には力がある。
仕事も趣味も、人と繋がることで世界は広がる。
自分を捨て、それに値するヒトの言葉を信じ、まずはやってみること。
大正11年にアインシュタイン博士が来日したときに、
「教育とは、学校の授業で教わったことを全部忘れてしまったとして、そこに残ったものをいう」というコメントを残したらしい(事実かどうかは謎)。
つまり、本当に重要なところは別にある。
さて、どこから流されてみるやら……