第6回:TUGUMI 吉本ばなな (中央公論新社) 文章:2003年12月31日
【読書ごっこ】は私がこれまでに読んできた本の中で、
特別な想いのある本を紹介していくコーナーです。
読書を楽しんでいただけるように、なるべくネタバレなしで紹介していきます。
※尚、この文章は2003年に書かれたものです。無断転載は厳禁です。
“バナナ・ショック”
吉本ばなな(現:よしもとばなな)の名をはじめて意識したのはいつだったろう。
真っ赤なバナナの花をイメージしたとどこかで読んだ記憶があるが、バナナといえば果物の王様。おそらくほとんどの人はバナナの実を連想すると思う。それを考えると、いうまでもなく「吉本ばなな」はかなりパンチの効いたペンネームであり、一種のすごみを感じさせる。
“はじめての吉本ばなな体験”
“引っ越しはパワーだ”という言葉で始まるその小説「キッチン」は、型破りで新しく、デビュー作にして圧倒的なすごみをまとっていた。
個人的に、吉本ばななは馴染みの深い作家の一人で、高校時代にまとめて読みあさった経緯がある。多くの作品群の中で、ここで紹介する「TUGUMI」が特別に優れているとは思っていない。いや、優れているかもしれないし(たぶん優れていると思う)、そうじゃないかもしれない。というのもこの小説、他のばなな作品群と比べるとかなり異質な感じがあるのだ。(いつもは一人称で「私」を描いているのに、ここではつぐみという「他者」をヒロインに据えている)
代表作うんぬんは抜きにして、なんとなく好みというか、近いというか。
吉本ばななの小説では、この作品が一番好きだ。
“鳥になったつぐみ”
小説はもちろんのこと、この本の魅力其の二は、山本容子の装丁。以前放送されていたネスカフェのCM「銅版画家・山本容子は知っている」のあの人だ。
これがかなり良い。つぐみといえばこの表紙、この紙質、この花、この鳥。
ご本人のサイトにもあるように、この絵は山本容子のつぐみ像であるらしい。この表紙のカバーは「TUGUMI」というタイトルの一部であり、この本はこの表紙だからこそ「TUGUMI」なのだと思う。
タイトルが“TSUGUMI”ではなく“TUGUMI”というところも微妙にいい感じ。
吉本 ばなな(よしもと・ばなな)
1964年?月?日、東京都生まれ。
’87年「キッチン」で海燕新人賞を受賞しデビュー。「TUGUMI」で山本周五郎賞。イタリアのスカンノ賞、フェンディッシメ文学賞を受賞するなど、海外での評価も高い。「白河夜船」「アムリタ」「哀しい予感」「N・P」「とかげ」「体は全部知っている」等、著書多数。
つぐみは美人で、性格がわるい。
でもはじめて読んだとき僕はそう思わなかった。
この小説が好きな人=つぐみに何らかのかたちで魅かれた人。
たぶんそう考えて間違いないと思う。
自分も性格がわるいから、つぐみの性格もそれほどだとは思わなかった、なんてことはない。つぐみの憎悪(と言っていいのか)の根源にあるものをリアルに感じることができたから、共有することができたから、性格の「よい・わるい」という客観による曖昧な評価はどうだってよかったのだ。つぐみはとことんやるし、それは僕のレベルをずいぶん越えていて、徹底している。「つぐみちゃんは少し口がわるいけど、本当は優しい子なのよ」なんて絶対に言われたくないし、そのためには徹底的に相手を潰し、踏みつけ、あざ笑うのだ。怖いくらいに、つぐみはそうあろうとしている。
そんな病弱な少女の圧倒的な「生」のエネルギーは、強くて儚くて鋭い。儚さを一蹴するほどに、強くて鋭い。
この小説、他のよしもとばなな作品と比べると、個人的な思いを抜きにしても、確かに異質な感じはする。
それはつぐみという少女の、少女であるがゆえの圧倒的な存在感によるものだと思う。なんといっても、これは少女つぐみの物語なのだから。
つぐみに負けないくらいの人間になりたいと、僕はとても思う。
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ところで、「吉本ばなな → よしもとばなな」のペンネームの変更に関して、自分の子供の名前を考えるときに姓名判断をやってみたら自分の名前がすごく悪くて、よしもとばなな、と平仮名にしたようなことをどこかで読んだ。
さすがに大物はちがう。
→よしもとばなな公式サイト
(リンクはしていませんのでご自分で探してください。すぐに見つかります)